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すごい発見とか発明した割に報われなかった科学者とか教えてくれ

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1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:32:22.89ID:7ZR9Ugm10



ヴェスト・スライファーとロザリンド・フランクリンぐらいしか知らないんだ


ヴェスト・スライファー


アメリカ合衆国の天文学者。銀河の赤方偏移を発見し、エドウィン・ハッブルらの宇宙膨張発見の手がかりとなった。ローウェル天文台の所長としてクライド・トンボーの冥王星発見を指導した。

宇宙膨張に伴なう赤方偏移の発見者はエドウィン・ハッブルであるとされることが多いがスライファーの発見はハッブルに先立つものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェスト・スライファー




ロザリンド・フランクリン


イギリスの物理化学者、結晶学者である。石炭やグラファイト、DNA、タバコモザイクウイルスの化学構造の解明に貢献した。

フランクリンはDNAの研究をめぐり、彼女が来る以前からDNAを研究していたモーリス・ウィルキンスとしばしば衝突していた。
そして、ウィルキンスはケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所に在籍していたジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックに彼女の撮影した写真を見せる。このことは、二重らせん構造解明の手がかりとなったものの、のちに大問題となった。

また、フランクリンは1952年に自分の非公開研究データをまとめたレポートを年次報告書として英国医学研究機構に提出しているが、その研究レポートは、英国医学研究機構の予算権限を持つメンバーの一人でありクリックの指導教官にあたる立場の研究者であるマックス・ペルーツが入手し、そこからクリックの手に渡った。
この非公開レポートには、DNA結晶の生の解析データだけでなく、フランクリン自身の手による測定数値や解釈も書き込まれており、DNAの結晶構造を示唆するものであった。

1962年にワトソン、クリック、ウィルキンスがDNAの構造解明によりノーベル生理学・医学賞を受賞したが、フランクリンは1958年に37歳の若さで卵巣癌と巣状肺炎により死亡したため、受賞の栄誉は得られなかった。
一説には、実験のため無防備に大量のX線を浴びたことが癌の原因だといわれている。

フランクリンは、ワトソンの『二重らせん』で「気難しく、ヒステリックなダークレディ」と書かれるなど長い間否定的な評価をされてきたが、1980年代に入ってようやく彼女の業績が再評価されるようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロザリンド・フランクリン




35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 04:22:45.86ID:e0rTp54ai



DNAの二重螺旋構造で有名なワトソンとクリックはあの理論を提唱したわけじゃなくて模型を作っただけ
実際に理論を考えたのは別の女科学者だけど、その人と仲の悪かった同僚が二人に理論をリークした
ワトソンとクリックはそれをパクって時の人になった





2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:34:55.74ID:dfmY5NSj0



青色ダイオードの人はどうなったんだっけ


中村修二


元会社員、電子工学者、工学博士。 青色発光ダイオードや青紫色半導体レーザーの製造方法などの発明・開発者として知られる(高輝度青色発光ダイオードの発明・開発者で、低輝度の青色発光ダイオードは以前からあった)。

日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、会社から約3億円の開発費用の使用を許される。
米国・フロリダ大学に1年間留学後、日亜化学工業に戻り約2億円程度するMOCVD装置の改造に取り掛かるが、社長の交代等もあり研究の取り止めを求められた(著書より)。

その後、青色発光素子であるGaN(窒化ガリウム)の結晶を作製するツーフローMOCVDを発明した。ツーフローMOCVDは通称404特許と呼ばれ日亜化学工業と特許権譲渡および特許の対価の増額を争った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/中村修二




7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:38:40.34ID:7ZR9Ugm10



>>2
結局会社から和解金もらって解決したみたいだな
ちょっとでも報われてよかった


404特許


中村修二が職務発明した窒化物半導体結晶膜の成長方法に関する日本の特許2628404号をいう。 化学メーカーの日亜化学工業が1992年に特許出願した。本特許は高輝度青色発光ダイオードの製造において結晶成長の過程で利用することができる「ツーフローMOCVD」技術に関するものである。

2001年8月、 404特許の原告への帰属確認、及びそれが認められない場合は譲渡対価を求めて、中村修二は元勤務先の日亜化学工業を相手に訴訟を起こした。原告は被告会社の高輝度青色LED製造への本特許の貢献度は100%と主張、対して被告は現在は利用されない技術と主張するなど、本特許の認識を巡っては真っ向から対立していた。

一審の東京地方裁判所では、2002年9月の中間判決において、特許の帰属については被告会社のものであるという判決がなされた。その後2004年1月30日、発明の譲渡対価について、被告会社に対し約200億円の支払いを命じる判決がなされた。

控訴審の東京高等裁判所では、2004年12月に裁判所が和解勧告を出し、2005年1月に原告被告とも受け入れて訴訟が終了した。
和解金は404特許も含めた原告の関わった全職務発明に対して約6億円(実際は延滞損害金も加えた約8億円)となり、結果的に404特許の判決は出ず終了した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/404特許




3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:35:44.65ID:+6B7kSZt0



名前わかんないけどアドレナリン発見した日本人


高峰譲吉


日本の科学者、実業家。工学博士・薬学博士。現在の富山県高岡市生まれ。
現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒。理化学研究所の設立者の一人。

アドレナリンは1900年に高峰譲吉と助手の上中啓三がウシの副腎から世界で初めて結晶化した。
一方、エピネフリン抽出をした米国研究者が高峰譲吉は研究上の盗作を行ったと、事実誤認の非難をした事も災いし、また高峰譲吉は醸造学者であり薬学での業績が少なかったことなどの経緯もあり、ヨーロッパではアドレナリンと呼ばれる薬は日本と米国では、副腎髄質ホルモン「エピネフリン」と長らく呼ばれてきた。

しかし、高峰譲吉の業績に詳しくその著書もある菅野富夫(北海道大学名誉教授)らが、日本は発見者高峰譲吉の母国であり、「エピネフリン」に代わり正式にアドレナリンの呼称として欲しいとの厚生労働省への要望が実り、2006年(平成18年)4月、107年目の名誉回復として、日本国内では晴れて「アドレナリン」と呼ばれる事となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/高峰譲吉




4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:36:58.29ID:0hqSKlf10



外村彰




外村彰氏死去=量子力学の理論実証―ノーベル物理学賞候補

微小な磁場が観察できる「ホログラフィー電子顕微鏡」を開発、量子力学で予言されていた基礎現象を実証し、ノーベル物理学賞の有力候補とされていた日立製作所フェローの外村彰(とのむら・あきら)氏が2日午前0時8分、膵臓(すいぞう)がんのため埼玉県内の病院で死去した。70歳だった。

外村氏は東京都出身。1965年、東京大理学部物理学科を卒業後、日立製作所中央研究所に入社。81年、微細な磁力線の分布を直接観察できるホログラフィー電子顕微鏡を開発。量子力学の世界で実在をめぐって議論が続いていた「アハラノフ・ボーム効果」を実証し、論争に終止符を打ち、同効果の提唱者らとともにノーベル物理学賞の有力候補と言われていた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120502-00000045-jij-soci




6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:38:16.54ID:+OFnLfNU0



テスラ



ニコラ・テスラ

19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家。
交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。
磁束密度の単位「テスラ」にその名を残す。

1884年にアメリカに渡り、エジソンの会社・エジソン電灯に採用される。当時、直流電流による電力事業を展開していた社内にあって、テスラは交流電流による電力事業を提案。これによりエジソンと対立し、1年ほどで職を失うこととなる。

1888年5月16日、アメリカ電子工学学会でデモンストレーションを行い、それに感銘を受けたジョージ・ウェスティングハウスから100万ドルの研究費と、特許の使用料を提供されることとなった。
だがウェスティングハウス社技術陣の中でも孤立し、1年で離れることになる。

1901年、J・P・モルガンの援助により、ロングアイランド、ショアハムに高さ57mの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」の建設を開始。1905年に完成するも、その後モルガンとの関係が悪化して資金繰りに詰まり、研究は中断。アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、1917年にタワーは標的にされるとの理由で撤去された。

1915年、エジソンとともにノーベル物理学賞受賞候補となるが、共に受賞せず。双方が同時受賞を嫌ったためとも言われている。1930年代にも受賞候補に選ばれるが、受賞はしなかった。

1917年、米国電気工学協会エジソン勲章の授与対象になるが、これを断る。

1943年1月7日、ニューヨーク・マンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。86歳。
その死後、数トンに及ぶとされる彼の発明品・設計図は「アメリカ軍とFBIが没収した」「ユーゴスラビアを通じてソ連の手にも渡った」と噂され、半ば伝説のように流布した。実際には一度FBIに押収されて複製された後、母国に返還された。原版はベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管されている。


その奇抜とも取れる研究内容や、数々の伝説、冷遇された人生なども相まって、彼や彼の発明であるテスラコイルはカルト団体や疑似科学方面から熱い注目を集めることが多々ある。特に、晩年は霊界との通信装置の開発に乗り出すなど研究にオカルト色が強まったこともあり、テスラの名を一層胡散臭いものとして響かせる原因ともなっており、彼への正当な評価を余計に難しくさせている(もっとも、晩年の研究においてオカルト色が強まったのはエジソンも同様である)。
しかし冷静に判断すれば、彼は純粋なただの科学者である。その研究テーマが風変わりであることが多々あり、社会とうまくやっていく能力にほんの少々欠けており、生涯でいくつかの“競争”に敗北しただけである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラ・テスラ




9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:40:09.45ID:/kDJ8/De0



地動説唱えて教会に殺されたやつ




11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:41:51.58ID:SVN/+jzs0



>>9
コルペニクス?



ニコラウス・コペルニクス


ポーランド出身の天文学者である。当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。
これは天文学史上最も重要な再発見とされる。

自己の地動説の発表による影響を恐れたコペルニクスは、主著『天体の回転について』の販売を1543年に死期を迎えるまで許さなかった(彼自身は完成した書物を見る事無く逝ったと言われている)
死後はポーランドのフロムボルクの大聖堂に埋葬されたとみられていたが、遺骨は確認されていなかった。
シュチェチン大学などのチームが2004年から発掘を進め、大聖堂の深さ約2メートルの場所から2005年夏、遺骨を発見した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラウス・コペルニクス




10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:40:31.99ID:0hqSKlf10



ラボアジエ


アントワーヌ・ラヴォアジエ


フランス、パリ出身の化学者である。

裕福な生まれだったにもかかわらず、実験器具を買う費用が必要だったことから、市民から税金を取り立てて国王に引き渡す「徴税請負人」の職業に就き、徴税請負人の長官ジャック・ポールズの娘マリー・アンヌ・ピエレット・ポールズと結婚した。

1791年に国家財政委員に就任し、フランスの金融・徴税制度を改革しようとした。しかし、フランス革命勃発後の1793年に徴税吏であること、徴税請負人の娘と結婚していたことなどを理由に投獄された。
徴税請負人は市民から正規の税に加え、高額な手数料をとったため革命政府の標的とされた。
ラヴォアジェ自身はそこまでひどい徴税はせず、むしろ税の負担を減らそうと努力していたが、1794年5月8日の革命裁判所の審判で「水と有害物質をタバコに混入した」との(架空の)罪で死刑とされ、その日のうちに 断頭台で処刑された。

ラヴォアジエが投獄・処刑された理由については、革命指導者の一人で化学者でもあったジャン=ポール・マラーが、かつて学会に提出した論文が審査を担当したラヴォアジエによって(彼によれば「実験もせず憶測の内容であったため」)却下されたことの逆恨みによるものであるとも伝えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アントワーヌ・ラヴォアジエ




12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:41:55.50ID:8GmmE3yzO



鈴木梅太郎だったかな

オリザニン(ビタミンD)の発見





17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:45:04.90ID:iEStFJD4O



>>12
論文ドイツ語に訳したやつが肝心なところ端折ったんだよな
結局その理論昇華させたやつに業績持ってかれて乙


鈴木梅太郎


農芸化学者。勲等は勲一等。東京帝国大学名誉教授、理化学研究所設立者。帝国学士院会員。文化勲章受章者。

1910年(明治43年)6月14日、東京化学会で「白米の食品としての価値並に動物の脚気様疾病に関する研究」を報告した。この報告では、ニワトリとハトを白米で飼育すると脚気様の症状がでて死ぬこと、糠と麦と玄米には脚気を予防して快復させる成分があること、白米はいろいろな成分が欠乏していることを認めた。

糠の有効成分に強い興味をもった鈴木は、以後その成分の化学抽出をめざして努力した。同年12月13日の東京化学会で第一報を報告し、翌1911年(明治44年)1月の東京化学会誌に論文「糠中の一有効成分に就て」が掲載された。とくに糠の有効成分(のちにオリザニンと命名)は、抗脚気因子にとどまらず、ヒトと動物の生存に不可欠な未知の栄養素であることを強調し、後の「ビタミン」の概念をはっきり提示していた。ただし、その論文がドイツ語に翻訳されたとき、「これは新しい栄養素である」という一行が訳出されなかったため、オリザニンは世界的な注目を受けることがなく、第一発見者としては日本国内で知られるのみとなってしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木梅太郎




18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:45:48.44ID:XLZX6B3R0



ベルさんに数時間差で特許を先に出され電話の設計図を認められなかった人
まぁのちに別の発明で一山あてるんですけどね





14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:43:39.51ID:dfmY5NSj0



イライシャ・グレイ

ベルの特許で時間差でだめだった人いたよなと思って調べたら名前出てきた



イライシャ・グレイ


アメリカの発明家・技術者である。

1876年電話機を発明したが特許出願が約2時間遅れたため、ほぼ同じ発明をしたアレクサンダー・グラハム・ベルに特許を取得されてしまう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/イライシャ・グレイ




15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:44:25.25ID:DlxMTIv/0



キュリー夫


ピエール・キュリー


フランスの物理学者。結晶学、圧電効果、放射能といった分野の先駆的研究で知られている。1903年、妻マリ・キュリー(旧名マリア・スクウォドフスカ)やアンリ・ベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞した。

相当な知識人で、マリとともにラジウムやポロニウム発見のために文字通り心身を削った。ラジウム発見の頃にはリウマチが体を蝕んでおり、夜な夜な激痛に襲われて悲鳴を上げたが、それでも研究をやめることは無かったという。

1906年4月19日木曜日、朝から降る雨の中ピエールは教授たちとの昼食会に出席し、終わった2時半頃に著作の校正を見るため向かった出版社はストライキで閉まっていたので、彼の次の予定先へ向かった。
都市整備される前のパリは道も狭く、多くの馬車が混み合いながら行き交っていたドフィーヌ通り(en)でピエールは、目の前を馬車が通り過ぎた後に道を渡りだした。その時、反対方向に進む荷馬車に気づかず、その目前に躍り出る格好になった。馬にぶつかり転んだ彼の頭上に、急には止まれない荷馬車の左後輪が乗り上げた。騒ぎに駆けつけた巡査が抱き起こした時には、ピエールは頭蓋骨にひどいダメージを負って即死していた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール・キュリー




19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:46:00.46ID:heLFtlYV0



乾電池発明した人


屋井先蔵


13歳で時計店の丁稚となるも、病気のため帰郷。修理工として年季奉公した後、高等工業学校(現:東京工業大学)入学を志望したが受験に2度失敗し、それからの3年間は独力で永久自動機等の研究を続けた。

その後、東京物理学校(現:東京理科大学)の実験所付属の職工として専門知識を学んだ。
そしてついに独自の屋井乾電池を発明した。しかし、国内的にはあまり注目されず、むしろ万国博覧会出品で乾電池の存在が国際的に認知されることとなったが、発明者が屋井先蔵であることが知られるのはしばらく後の事になった。

高等工業学校(現:東京工業大学)の試験に5分遅刻したため失敗し、翌年より年齢制限により受験資格を失ってしまったことが連続電気時計の着想とされる。


発明にしたにもかかわらず、貧乏のため乾電池の特許を取得はできなかった(当時の特許取得料金は高額だった)。また、乾電池を発売した当初、大半の世論は「乾電池などという怪しいものが正確に動くはずがない」というもので、先蔵の乾電池は全く売れなかった。さらに持病の為に寝込む日が続き生活は貧窮を極めた。さらに、先蔵の乾電池の価値を知った外国人が万博にて自分が発明したものだと主張したため、しばらく時間が経つまで世界で最初に乾電池を発明したのが先蔵であると認知されなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/屋井先蔵




25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:49:42.94ID:6ERy50Mq0



ギロチン作った奴はギロチンされたんだっけ




31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 04:10:24.11ID:+OFnLfNU0



>>25それガセ


ジョゼフ・ギヨタン


フランスの内科医、政治家、博愛主義者である。処刑器具のギロチンは彼の姓に由来しているが、彼はギロチンの発明者ではない。このような断頭装置は少なくとも13世紀にはすでに存在した。

1789年10月10日、彼はフランスの死刑に機械的な装置を使用することを議会に提案した提案者である。しかしその彼の名前がエポニムとなり、ギロチンとは”ギヨタンの息子”を意味するので、彼の親類は、この機械に名前を使用することをやめてくれるように政府に依頼したが、この言葉が余りに広く認知されてしまっていたので、やむなく姓を変更するに至った。

ギヨタン自身がこの装置で処刑されたというのは広く知られた都市伝説で、間違いである。彼は帝政期まで医療福祉の分野で活躍し、その実際の死因は左の肩の癰であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョゼフ・ギヨタン




29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 03:55:01.94ID:fRD+gQMD0



セルゲイ・コロリョフ

真のロケットの父。アメリカ出し抜いて人工衛星打ち上げるわ人間を宇宙に送るわ、
この人が入れば 旧ソ連>>>>>アメリカ だった
存在そのものが極秘とされ、死ぬまで国民には存在を知らされず、
彼の死後、宇宙技術は 旧ソ連<<<<<アメリカ になる



セルゲイ・コロリョフ


ソビエト連邦の最初期のロケット開発指導者。
アメリカのヴェルナー・フォン・ブラウンと並ぶ米ソ宇宙開発競争の双璧だった人物である。

1938年7月22日、新ロケットの開発に難航する中、他の研究所メンバーと共にソ連内務人民委員部(NKVD)に逮捕された。先に逮捕されていたヴァレンティン・グルシュコの告発による冤罪である。

容疑はテロ組織への関与と研究遅延・怠慢による国家資源浪費であった。尋問の際には顎をひどく骨折するほどの暴行を受け、自白を強要された。10年の刑を受けてシベリアのコルィマ鉱山にある強制収容所に送られた。
過酷な環境の中で壊血病を患い、症状はひどく悪化したため全ての歯は抜け落ち心臓病に苦しんだ。

コロリョフはその後、師であるツポレフの嘆願などにより8年へ減刑され、モスクワにある強制収容所内の特別研究所に移され、かつての同僚でシベリア流刑のきっかけとなったグルシュコと共に再び戦闘機・爆撃機開発に従事した。
コロリョフの罪が免除されたのは1944年だった。

有人月旅行を目指して大型宇宙船ソユーズや大型ロケットN-1の開発を進めるが、1966年、ガンの手術中に心臓停止し、死去。国葬で送られ、赤の広場の壁にソ連の歴代要人と並んで葬られた。

コロリョフはその開発が高く評価され、レーニン勲章も授与されたが、宇宙開発技術者の身元を明かさないというソ連当局の方針によって、その死まで彼の名前が西側に伝わることはなかった。
アメリカのヴェルナー・フォン・ブラウンと共に、米ソ宇宙開発競争の中心人物であった両者は一度たりとも対面したことはなかったばかりではなく、ブラウンがコロリョフの存在を知ったのは彼の死後であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/セルゲイ・コロリョフ




32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 04:16:45.53ID:ZPmSKUzX0



アボガドロ


アメデオ・アヴォガドロ


イタリアのトリノ出身の物理学者、化学者。「アボガドロの法則」でとくにその名が知られている。

アボガドロの法則は、例えば学校教育などで化学を初めて教授する際、初年度に必ずと言っていいほど扱う重要な基本法則である。
しかし、アボガドロの法則は一見、古い仮説を組み合わせただけのように見えることもあり、発表後も重要性が理解されなかった(法曹界の出身故に論文の文章が難解だった事も一因と言われている)。
アヴォガドロの死の直後に著わされた1858年のスタニズラオ・カニッツァーロの論文「ジェノバ大学における化学理論講義概要」、さらに1860年に開催された原子量と分子量の基準がテーマとなっていたカールスルーエ国際化学者会議でのカニッツァーロの発表を受けて、初めて再評価された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメデオ・アヴォガドロ




37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 04:31:06.01ID:8vuq3/H50



メンデルだろ
研究の師匠「イミフ」
当時の学会「イミフ」
こんだけでリアクション終わりだぜ



グレゴール・ヨハン・メンデル


オーストリア・ブリュン(現在のチェコ・ブルノ)の司祭。植物学の研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見したことで有名。遺伝学の祖。

有名なエンドウマメの交配実験は1853年から1868年までの間に行われた。
種子の形状や背の高さなどいくつかの表現型に注目し、数学的な解釈から、メンデルの法則と呼ばれる一連の法則を発見した(優性の法則、分離の法則、独立の法則)。
メンデルは当時の細胞学の権威カール・ネーゲリに論文の別刷りを送ったが、数学的で抽象的な解釈が理解されなかった。

1868年に修道院長に就任し多忙な職務をこなしたが、気象の分野の観測や、井戸の水位や太陽の黒点の観測を続け、気象との関係も研究した。没した時点では気象学者としての評価が高かった。

メンデルは、研究成果が認められないまま、1884年に死去した。
メンデルが発見した法則は、1900年に3人の学者、ユーゴー・ド・フリース、カール・エリッヒ・コレンス、エリッヒ・チェルマクらにより再発見されるまで埋もれていた。
彼らの発見した法則は、「遺伝の法則」としてすでにメンデルが半世紀前に研究し発表していたことが明らかになり、彼の研究成果は死後に承認される形となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/グレゴール・ヨハン・メンデル




39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/03(木) 05:00:51.85ID:DoX+UEW+0



八木博士


八木秀次


日本の工学者(電気工学)、実業家、政治家。

電気工学を専門とする工学者であり、宇田新太郎と共に開発した「八木・宇田アンテナ」の共同発明者として知られている。この発明を基に八木アンテナを創業し、その初代社長に就いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/八木秀次



八木アンテナが発明されたのは大正14(1925)年、東北大学工学部長の八木秀次が40歳の時のこと。
さまざまな条件下で実験を重ね、超短波の送受信方法を理論的に解明。その理論に基づく「指向性アンテナ」の特許を申請し、これを『電気学会雑誌』に発表した。が、反響はまったくなく、学界から無視された。

その3年後、八木は、ニューヨークで開かれたIRE(アメリカ無線技術者協会)の総会で指向性アンテナの研究を発表。日本の学界では信じられないような高い評価を受ける。

第二次世界大戦へと突き進むこの頃、先進各国では八木の指向性アンテナの原理を応用し、着々とレーダーの開発を急いでいた。ところが、日本政府はその重要性をまったく理解できず、太平洋戦争に突入した後も、「敵を前にして電波を出すなど、闇夜に提灯を灯して自分の位置を敵に教えるようなものだ。真珠湾攻撃以来、奇襲戦を本領とする我が日本軍には必要ない!」と、まるで相手にしようとしなかった。さらに昭和16年、八木は指向性アンテナの特許期限の延長を申請したが、「重要な発明とは認め難いので、特許を無効とする」との通知が届く。
http://cobs.jp/life/regular/hatsumei/bn/020109.html









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  6. 電話の発明者はアントニオ・メウッチだよ。
    アメリカでも最近になって漸く議会で認められた。
  7. 名前: :2012/05 /04(金) 11:52:03 [編集]
  8. メンデルは捏造だったことは知られてないのか?
    基準が曖昧で、主観で3:1に分けただけという
  9. 名前: :2012/05 /04(金) 12:30:14 [編集]
  10. ノーベル賞の審査もいい加減て事だ
  11. 名前: :2012/05 /04(金) 13:00:26 [編集]
  12. 数学者のガロアなんかも劇的な人生送っている
    死因が決闘だもんな
  13. 名前: :2012/05 /04(金) 13:51:21 [編集]
  14. 長岡半太郎
  15. 名前: :2012/05 /04(金) 13:59:34 [編集]
  16. 日本の学界では謙虚さが美徳だから思い切ったアピールができないのよね
    他にも周りに潰された研究がたくさんありそう
  17. 名前: :2012/05 /04(金) 14:37:28 [編集]
  18. X線の人がでてないな
  19. 名前: :2012/05 /04(金) 14:51:26 [編集]
  20. 日本にも凄い人たくさんいるんだよな。日本人はもっと自信を持とう、日本人は凄いんだぞ
  21. 名前: :2012/05 /04(金) 15:50:14 [編集]
  22. 天動説で教会に処刑されたのはジョルダノ・ブルーノだね本スレ>9
    ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E
  23. 名前: :2012/05 /04(金) 16:15:31 [編集]
  24. キテレツ斎だな
  25. 名前: :2012/05 /05(土) 06:09:09 [編集]
  26. ※10
    その凄い人を「ハァ?」「ワロスwww」って無視したのも日本人だぞな
  27. 名前: :2012/05 /05(土) 07:05:16 [編集]
  28. 多分日本人の発明家なり科学者は成果に対する対価はかなり低い気がする

    だから海外に拠点を移す人が多いんだろうけど…

  29. 名前: :2012/06 /05(火) 10:23:20 [編集]
  30. アカデミックな場所は実際には特許戦争のようにとにかくアピールが大事だとかいう風潮に染められている
    人を集めて情報発信できないと成果がなにも認められない世界 ある意味企業の競争より厳しい

    日本人でノーベル物理学賞といえば戸塚洋二あたりも有名ね
    外村さんは先日亡くなってしまって本当に残念だった
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